歯科医師はなぜ全身を学ぶのか|顎関節・歯根膜を体と比べてわかること

「歯医者さんは歯だけを診るところ」と思われている方も多いかもしれません。しかし歯科医師は、歯学部で全身の構造や働きを幅広く学んでいます。持病のある方を安全に治療するためというのも大切な理由ですが、実はもっと根本的な理由があります。それは、お口の仕組みは体のほかの部分と比べることで初めて本当に理解できる、ということです。今回は、顎の関節と歯を支える組織を例に、このことをご紹介します。
お口は、全身の仕組みが「特殊化」した場所
お口の中の組織は、体のどこにもない特別な素材でできているわけではありません。
• 顎関節は、膝や肘と同じ仲間の関節(滑膜性関節)です。
• 歯を支える歯根膜は、靭帯の一種です。
• 噛むための筋肉は、手足と同じ骨格筋です。
• 顎の骨も、全身と同じ骨です。
つまりお口は、全身に共通する基本の仕組みが、「噛む」「話す」「飲み込む」という役割に合わせて形を変えた器官なのです。
そのため、お口を理解するには、まず全身に共通する「基本形」を知る必要があります。そのうえで「お口では何が同じで、何が違うのか」を見極めることが欠かせません。同じ点からは生き物に共通する原理が、違う点からはお口ならではの役割が見えてきます。全身を知らずにお口だけを学ぶと、知識は個別の暗記にとどまり、何が正常で何が異常なのかを原理から判断することができません。
顎関節――全身の関節と比べてわかる「本当の特徴」
顎関節は、耳の穴のすぐ前にある、下あごの骨(下顎骨)と頭の骨(側頭骨)をつなぐ関節です。口を少し開けるときは、下あごの先端の丸い部分(下顎頭)がその場で回転します。大きく開けると、回転しながら前へ滑り出します。耳の前に指を当てて大きく口を開けてみると、骨が前へ移動するのがわかります。
この「回る」と「滑る」の二つの動きを可能にしているのが、関節の中に挟まっている「関節円板」です。線維でできた厚さ数ミリほどの薄い板で、関節の中を上下二つの部屋に仕切っています。下の部屋では「回る」動きを、上の部屋では「滑る」動きを主に受け持っています。
関節円板は顎関節だけにあるものではありません。鎖骨と胸の骨をつなぐ胸鎖関節や、手首の関節などにもあります。膝の半月板もよく似ていますが、関節の中を完全には仕切らないため、解剖学では「関節半月」として区別されます。
胸鎖関節でも、円板を挟んだ二つの部屋で鎖骨の動きが分担されています。形の合わない骨の間にもう一つの“動く関節面”を挟むことで、一つの関節で複雑な動きを可能にする。これは全身の関節円板に共通する原理です。
また、顎関節の関節円板は中央部に血管がほとんどなく、大きな圧力を受け止められるつくりになっています。これは手首の円板とも共通する性質で、圧力に強い反面、傷ついたときには治りにくいという一面もあります。歯ぎしりや食いしばりなどさまざまな要因で関節円板が前にずれることがあります。口を開けるときの「カクッ」という音や、口の開けにくさにつながることがあります。
では、顎関節に本当に固有の特徴は何でしょうか。「左右が必ず一緒に動く」ことはよく挙げられます。しかし、前腕をひねる動きでは、肘側と手首側の関節が骨を介して必ず連動します。鎖骨の両端にある胸鎖関節と肩鎖関節も、鎖骨を介して一緒に動きます。骨でつながった関節が連動すること自体は、顎関節に限らないのです。
全身の関節と比べて初めて見えてくる顎関節ならではの特徴は、「関節の外にある歯の噛み合わせが、口を閉じたときの下あごの位置(運動の終点)を決める」という点です。歯と関節がひとつながりで働いているからこそ、顎関節は歯科医師が診る関節なのです。
歯根膜――靭帯と比べてわかる「感じ取り、適応する」組織
歯は、顎の骨に直接くっついているわけではありません。歯の根と骨の間には、厚さ0.2ミリほどの「歯根膜」という組織があります。無数の線維が歯を骨につなぎとめており、英語では「periodontal ligament(歯周の靭帯)」と呼ばれます。骨と骨をつなぐ靭帯とよく似たつくりです。
靭帯と比べると、線維でつなぐという点は共通しています。一方で、歯根膜は代謝が非常に活発で、持続的に加わる力に応じて周りの骨を作り替え、歯の位置を変えることができます。歯の矯正治療が成り立つのは、この性質のおかげです。さらに、食べ物に紛れた髪の毛一本に気づけるほど鋭いセンサーも備えています。靭帯と比べることで、歯根膜が「つなぐ組織」であると同時に「適応し、感じ取る組織」であることが見えてきます。
咬合性外傷と突き指――比べると、治療の考え方が見えてくる
指先にボールが当たって突き指をすると、関節を支える靭帯が引き伸ばされたり、ひどい場合には切れたりして、腫れや痛みが出ます。
歯にも、これとよく似たことが起こります。転倒などで歯を強くぶつけたときがそうです。また、次のような原因で歯根膜が耐えられる以上の力が繰り返しかかると、歯根膜の線維が傷ついたり部分的に切れたりして炎症が起こります。
• 強い歯ぎしりや食いしばり
• 高さの合っていない詰め物・被せ物
噛む力によって歯を支える組織が傷つくことを「咬合性外傷」といいます。「噛むと痛い」「歯が浮いた感じがする」「歯がぐらつく」といった症状が現れます。歯周病で歯を支える骨が減っている場合には、普段どおりの噛む力でも起こることがあります。なお、歯根膜の炎症(歯根膜炎)は、むし歯から根の先に細菌感染が広がった場合にも起こります。そのため、原因を見極めることが大切です。
組織が傷つく仕組みは突き指と共通していますが、大きく違う点があります。指は固定して休ませることができますが、歯は毎日の食事で使うため休ませることができません。そのため歯科では、「安静」ではなく「力のコントロール」を治療の中心に置きます。噛み合わせの調整や、就寝中の歯ぎしりから歯を守るマウスピース(ナイトガード)は、この考え方から生まれた治療です。比べることは、病気の仕組みを理解するだけでなく、治療の考え方そのものを導いてくれるのです。
全身を知ることは、安全な治療にも欠かせません
全身の知識は、持病のある方を安全に治療するためにも欠かせません。例えば次のようなケースです。
• 高血圧や心臓の病気がある方は、麻酔や治療中の緊張で血圧が変動することがあります。そのため、麻酔薬の種類や量に配慮が必要です。
• 血液をサラサラにするお薬を飲んでいる方は、抜歯などの際に血が止まりにくいことがあります。
• 骨粗しょう症などで使われる一部のお薬は、抜歯などをきっかけに顎の骨のトラブルにつながることがあります。
• 糖尿病と歯周病は、互いに悪影響を及ぼし合うことが知られています。
• ご高齢の方では、お口の中の細菌が誤嚥性肺炎の原因になることもあります。
治療の前に持病や服用中のお薬をお伺いするのは、このためです。お薬手帳をお持ちの方は、ご持参いただくと安心です。また、歯科治療を控えているからといって自己判断でお薬を中断せず、まずはご相談ください。
歯学部で学ぶ全身と、人体解剖実習
歯学部の6年間では、歯やお口のことだけでなく、全身について幅広く学びます。解剖学・生理学・病理学・薬理学といった基礎医学から、内科・外科などの全身の病気までが対象です。
中でも大切な学びのひとつが人体解剖実習です。献体してくださった方々のご遺体を通して、頭や顔まわりだけでなく全身の関節・靭帯・筋肉・血管・神経を自らの目で確かめます。これは、お口の構造を全身の中に位置づけ、比べるための土台をつくる経験です。そして生理学で全身の働きを学ぶことは、その構造がどう働くかを比べるための「物差し」を手に入れることでもあります。こうした学びは、故人とご家族の尊いご意思に支えられています。
当院の理事長は、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)歯学部で教官を務めてきました。医学部と歯学部をあわせ持つ同大学は、医学と歯学を融合させた教育を特色としており、歯学部の学生も全身の解剖実習に取り組みます。当院に在籍するドクターの多くも同大学の卒業生や関係者であり、全身の中でお口をとらえる視点を大切にしています。
まとめ
お口は体から切り離された場所ではなく、全身に共通する仕組みが「噛む」「話す」「飲み込む」ために特殊化した器官です。全身と比べることで、お口の何が普遍的で何が特別なのかが見え、正常と異常を原理から見分けることができます。これこそが、歯科医師が全身を学ぶいちばんの理由です。
当院では、お口の中だけでなく全身とのつながりにも目を配りながら、患者様一人ひとりに合った治療をご提案しています。顎の痛みや口の開けにくさ、噛んだときの違和感など、気になることがあればお気軽にご相談ください。
監修者 鳥居 秀平 医療法人社団 悠和会 北野坂鳥居歯科医院/理事長
「医は仁術」の理念に基づき、患者様の気持ちに寄り添い、誠実で愛情ある治療を行うことを大切にしています。当院では、患者様の不安や希望を伺い、その方に適した治療を提供することを重視しています。オペ室や歯科用CT、マイクロスコープなどの設備を整え、安全で信頼できる治療環境を整えており、スタッフ一同、患者様の大切な歯を守るために努めております。
略歴
- 1994年 日本大学松戸歯学部卒業
- 1996年 英国マンチェスター大学研究在籍
- 1998年 国立大学 東京科学大学大学 歯学部 文部教官
- 1998年 東京科学大学付属歯科衛生士学校 講師
- 1999年 国立大学法人 東京科学大学大学院医歯学総合研究科
顎顔面機能再建学系専攻 文部科学教官 - 2001年 北野坂鳥居歯科 開業
所属
- 日本口腔インプラント学会 専門医、指導医
- アジア口腔インプラント学会 認定医
